都会と田舎のあいだ

茨城県稲敷市での生活日記

リトル・イナシキ

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「あなたの生活や感性を見ていると、リトル・フォレストの映画みたいだね!」と言われた。

映画を観たことが無かった私は、何だか実感がわかなかった。

たまたま、お正月に実家に帰り録画したビデオ欄に「リトル・フォレスト」が録画されているのを見つけ観てみる事にした。

 

映画の中の主人公は自給自足に近い生活、お米・野菜・保存食品と全てを自分で作っている。

私はここまでした事は無いけれど、島根にいる時、たくさんの生きる知恵を教わった。

山の歩き方や、山菜の自生する場所、お米や野菜の育て方・食べ方・付け方、保存食品のつくり方、栗の渋川煮・梅酒・はぶ草茶の作り方、堆肥の作り方、草履の編み方、罠の仕掛け方、猪の捌き方。

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「何を目指してそんな事をしているの?」と良く聞かれる。

 何かを目指しているわけでは無く、単なる好奇心。

「生きていくための昔からの知恵が知りたい」

次々と便利になっていく事で、自分以外の「生」から遠くなっていると感じる事がある。

自分以外の「生」から遠くなっていくという事は、「生きる」という事から反している気がした。

「幸せだ」「良かった」「楽しい」と感じる瞬間いつも、私のそばには誰かしら何かしらの「生」がいる。

生き物に関わるという事は、ペットとして可愛がったりする事だけじゃないと思う。

普段、私たちが食べているものは全て「生物」、植物だって動物だって一緒。

「動物を殺すなんて!」と猪や鴨を捌いていると言われるけど、

彼らが肉として供給されるまでの流れを知らないで食べている方がよっぽど残酷だと私は思う。

狩猟をやっている人は皆、生物のことを知っている、どうやって猪が山で暮らし、何を食べ、身を守っているか。

 黒毛和牛だから、黒豚だからと高級食材と言われている肉を、大切な人に食べさせたいと思うことは無いですか?

私は同じように、大切な人に自分で捌いた肉を食べさせたいと思う。

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稲敷に来てから、「島根より都会だから自然に前より触れられない」と決め付けていた気がする。

「前より都会」、と思う事で見えるものも見えていなかった。

一昨年は、そんな気持ちでいたからか「自然」に触れる機会が少なかった気がする。

自分と波長が会う人たちと出会いを重ねていくうちに「自然」が不思議と繋がり、素敵な出会いが2016年は沢山あった。

本当の肉の美味しさを追求する養豚家。

馬やポニー・ヤギ・羊の世話の仕方を教えてくれたカキ氷屋さん。

地域活性を考えながら、牛を放牧して育てる酪農家とチーズ屋さん。

人との繋がりを大切にしながら、イベントを仕掛ける主婦の皆さん。

鴨の捌き方やコンニャク作り・正月飾り、羊毛紡ぎ、一閑張り、

沢山の事を稲敷に来てからも学ぶ事ができたのは、私にとって2016年の一番の発見になった。

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2017年は、稲敷の人・自然を凝縮した「リトル・イナシキ」のような生活ができればと思う。

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*映画『リトル・フォレスト』の予告編↓

www.youtube.com

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